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8/23 白馬弔問旅行 8/23~24 白馬滞在編 [国内旅行]

 

今回は急な予定で出かけることになった。ただし、あまり楽しい気持ちではないが…、
今週半ば、15年来の旧友でもあるS氏が急逝したため、かつてのバイト先の社員の方が音頭をとって追悼会をすることになった。今週末、自分は北海道旅行のはずだったが、S氏が亡くなった話を聞いてすぐに旅行の延期と週末の白馬行きを決め、連絡出来る知人には話を伝えて参加可否を聞き、宿も白馬駅近くのホテルじゃらんのサイトで予約、長野までの往復は以前も使ったモバイルSuica特急券で購入することで、急な出発ながらも8月のまだまだ繁忙期に確実に席が押さえることが出来た。


      東京から乗車した長野新幹線とあさま号専用と化した20番線ホームの様子

出発当日の朝は6:50起床。身仕度をして自宅を自転車にて7:20出発、地元駅からJR線にて横浜に7:57到着。普段なら東京へ出るのに大船を経由するが、今日は先方にて手土産を渡したくて構内の崎陽軒にてシウマイを購入してから、[電車]横浜8:05発東京行き東海道線に乗車。土曜の朝なので8:00台の電車でも横浜から座れて、27分の乗車にて終点の東京に8:32到着した。
そのまま隣の新幹線ホームに向かい8分乗り換えにて、[新幹線]東京8:40発長野行き長野新幹線あさま509号は発車した。

 東京発車直後の8号車指定席車内の様子      モバイルSuicaで購入の特急券

東京駅での乗り換え時間が短かったが、モバイルSuica特急券(¥7,200)で指定席を押さえられているのが便利だった。しかも自由席利用(¥7,460)よりも安く、この時期だと指定席は繁忙期でさらに¥200増なのがモバイルSuicaだと加算されないのでメリットが大きいかも…。
発車後の車内は8割以上乗っていて、開いた座席も結局は上野・大宮で全て埋まっていく。乗って早速、横浜駅で土産に買ったシウマイと同時に弁当も買っていたのでこれを朝食にする。地元横浜の駅弁ながら意外と旅先で食べる機会が無く、自宅へ買って帰って食べることが多い。

               横浜駅で買ってきた崎陽軒シウマイ弁当で朝食

上野・大宮と停まって車内は満席になって発車すると、その先の沿線は市街地が途切れると田畑が多く見られるようになって穏やかな景色になる。天気はどんよりとした曇り空だが、友人を亡くした今の気持ちと似ていてすっきりしない…。
高崎を9:31に発車すると軽井沢まで連続した上り坂になるが、力のある新幹線でスピードは衰えないまま軽井沢に9:47着。この先は各駅に停まって下車客ばかりで車内は空いていき、東京から1時間40分の乗車にて終点の長野に定刻の10:20到着した。

      曇天の関東平野北部を走る        先週も来たばかりの長野駅新幹線改札口

長野は先週も旅行で通過した場所だが、さすがにこんな近い間隔で来るとは思ってもみなかった。ここからバスにて白馬を目指すため、改札口を出て東口のバスのりばに向かう。長野郊外の中距離路線は全て長野駅東口から各社のバス路線が出ていて、白馬行き以外にも大町・扇沢野沢温泉・志賀高原などもこちらから出発する。のりばに行くとバスが既に何台か停まっていて、その中の白馬行きにてバス運転士のT田氏が迎えてくれた。
学生時代のバイト先で知り合ったT田氏は15年来の間柄で、そのバイトを辞めて10年ほど経つが未だに親交がある。今回も電話やメールのやりとりで話を聞いて、今日この時刻のバス運行で長野に来ると情報をもらって自分も時間を合わせてやって来たのだった。
そのT田氏運転のバス便に乗車して…、[バス]長野駅東口10:20発特急白馬乗鞍行き松本電鉄バスは発車した。

  白馬へ向けての国道19号線犀川沿い            白馬営業所を過ぎる

車内は既に座席がさらりと埋まっている状況で、そこに空いている席で便乗させてもらった。この路線は自分がバイト時代の1995年開設当初から乗務していた路線なので、目を瞑っていてもどこを走っているか分かるくらい乗っていた。
バスは国道19号線を信越本線・長野新幹線と並走してから犀川沿いを走って、安庭地区からかつてのオリンピック道路(県道31号線)へ進み、信号の殆ど無い山間部の狭い集落を走り抜けて、美麻地区から県道33号線で北に進路を変えつつ軽い山越えのトンネルを抜けると白馬の小さな盆地と聳える北アルプスが見えてくるが、あいにくの曇天で山々は見えない…。

長野駅から栂池高原まで乗った松本電鉄バス     営業所から乗せてもらった八方行き

白馬の街に入ってきて営業所を通過して、白馬駅には定刻より2分早く11:43到着。次の八方とで大半の乗客が降りて自分もそのまま乗っていた。T田氏はこのまま終点まで行ってそこで少し待機して再び長野駅行き乗務をするそうなので、再び白馬駅まで戻ってくるまで乗っていようと思ったが、白馬駅まで戻ってくるのが13:50頃と遅くなるので、長野駅から1時間29分の乗車で栂池高原にて1分早く12:09到着してT田氏と一旦別れて下車し、すぐ発車する[バス]栂池高原12:10発白馬駅行きに乗って白馬駅へ戻った…。
乗り換えたバスは元来た道を白馬大池駅まで降りてから国道148号線を旧道経由で走って白馬駅に12:33到着、そのまま駅近くの白馬営業所まで乗せてもらって事務所へ久しぶりに訪問したご挨拶をしてしばしお邪魔させてもらった。
サマージャンプで練習中だった…(拡大します)バスまで短時間での往復がキツい(拡大します)
      折り返し2分で見た白馬ジャンプ台とそこから見下ろした八方旅館街とバス停

白馬営業所の建物は昨年立て直され、少し小ぶりながらも昔と室内レイアウトは変わっていないが、過去の面影は一切無くなってしまった…。
乗務員控室に行くと10数年来の運転士の方々と久しぶりに会うが、ここでも堅苦しい挨拶は抜きにして、さも昨日も会ったような口ぶりで会話が始まるのが嬉しくもある。
そのうち運転士のM沢氏から声がかかって、12:58に一緒にバスに乗って出発。白馬駅13:00発の八方・ジャンプ競技場行きに乗って白馬ジャンプ台まで1往復した。折り返し2分間でジャンプ台を撮影してすぐ戻るが、手前の5~60段の階段がちょっとキツかった…。
雨の栂池高原へ再び…(拡大します)
       再び来た栂池高原バス停        乗務員控室で胡椒味噌茄子炒めを食べる

M沢氏の話相手に1往復乗って13:22に営業所に戻ると、先週も名古屋で会った友人Fが駆け付けていた。今月初旬にも一緒に上高地・乗鞍へ行っているので今月は3回も会ってしまった。出会わない時は数年会わないのに、会うときは頻繁に会ってしまうのは縁なのか…。松本在住の元バイトのI氏も車で来ていた。
時間が経って別の運転士にも会ったりして、少し時間があったので皆でS氏の亡くなった2階のバイト寮の部屋に行った。本人が運ばれた以外はそのままの状態だが、荷物や洗濯物もそのままで、亡くなったと実感出来ないほど室内は整然としていた。荷物の処遇は親類から全て処分するように会社側へ言っているらしいが、営業所側はしばらくそのままにしておくらしい。そう言う意味では冷たいS氏の親類よりこのバス会社のほうが人に対しての温かみがあると感じた。S氏の親類は遺体引取りだけして、葬儀や埋葬墓地の場所すら関係者に教えてくれなかったそうで、長期のアルバイターとして生活している人は家族・親戚などと関係が悪くて、訳あって生活している人が多かったのだと思う。自分達に対してのS氏の付き合いや気遣いなどにはそのような親戚との不仲は垣間見られないだけに、余計に不憫で悲しくもなった…。
あまり悲しんでばかりいても現実を受け止めなければ仕方なく、過去の良き思い出を湧きださせるために、今度は友人Fと共に再びM沢氏のバスにて14:10に営業所を出発。白馬駅14:15発の栂池高原行きに乗って再び1往復する。今日はあいにくの雨模様になったが、S氏への弔いの涙雨だと思っておく。
車内でかつて乗務した路線を辿りながら昔話をして自分らの過去やS氏との思い出を語って1往復し、再び営業所に15:10に戻った。そのうちM沢氏が少し時間があると言うので、S氏が亡くなる前日(4日前)に夕食に振舞ってくれた料理を作るというのでおやつに御馳走になることにした。S氏も営業所暮らしが長かったので、よく勤務後の夕食をここで調理して食べたことが何百回とあった。亡くなる前日に使った食材がまだ控室の段ボール箱に残っていて、それをM沢氏が調理して出してくれたのが胡椒味噌を丸茄子で炒めたものだった。酒のつまみには最高だが、まだ勤務時間の人がいるのでそれは夜に取っておく。

     白馬ロイヤルホテル建物外観        少し古い感じだが部屋は広い(212号室)

時間が経って再び15:45にM沢氏のバスに友人Fと共に乗って再々出発。今度は遠く九州宮崎からT氏が到着するので白馬駅へ向かった。ちょうど松本からの大糸線が到着してT氏を発見し、そのままM沢氏運行の白馬駅15:50発の八方・ジャンプ競技場行きにそのまま乗って白馬ジャンプ台まで再び1往復した。
 遠方から来たT氏は昨日夕刻までに宮崎より福岡に出て、夜行バスにて今朝名古屋から高速バスで松本へ、そこで所用を済ませて大糸線に乗って来てほぼ1日がかりで来てもらった。
1往復した車内でこれまでの経緯などを聞いて営業所に16:12に戻り、T氏S氏の部屋を見てもらってから夕刻の追悼集会に備えるため、予約しているホテルへ16:40に向かうことにした。

     左手にはユニットバスとテレビ              右手にはツインベッド

予約したホテルは営業所から北へ3軒隣の白馬ロイヤルホテルじゃらんのサイトで朝食込み¥6,500で予約、皆にそれを伝えると友人FI氏も同じく予約したようで3人でホテルに向かってチェックインした。部屋もほぼ並びで3部屋に入ったが、皆別々に予約したので3人でツインルーム3部屋も頂けた。室内はお世辞にも綺麗とは言えないが、部屋も1人で使うには広くて眺めもそれなりに良いと思う。白馬には以前、白馬駅上に唯一ビジネスユースに使えるようなJR系のホテル(フォルクローロ白馬)があったがいつの間にか閉店していたので、1人で白馬に来た時には宿探しにいつも困っていた。ツインルームでもそこそこの値段で泊まれる宿が見付かったので、次回も機会があれば利用したい。

   八方温泉を引いているふるさとの湯               内風呂の様子

追悼集会は18:00からなので、それまでしばらく部屋にて休憩とする。宿を取っていなくて夜には帰途につくというT氏も部屋に招いて使ってもらうことにした。まだ時間があるので温泉を引いているという大浴場へ行ってみた。
夏シーズンも終わりかけているので館内は空いているようで、まだ浴場も誰もいなかったので思わず撮影。何となく建増ししたような配置の浴場で、内風呂付近に数個の洗い場があるが、外側にもサンルーフ下に立派な洗い場を増設して、さらに露天に風呂まで加わったような配置だ。

 後から増設したようなサンルーフ下の洗い場         露天風呂は玉砂利敷き

部屋に戻ってもまだ時間があったのでしばしテレビでも観て休憩。17:45頃になってホテルに入っていた連中と4人で営業所に行ってから白馬駅前の居酒屋の花舎(はなや)に行ってみる。M沢氏の名前で予約が入っていて、先客が1組いたものの唯一ある座敷を全部貸し切って用意されていた。

 追悼会場になった白馬駅前 花舎(はなや)     S氏関係者が30名近く一同に集まった

18:00の開始当初は7~8名だったものの、仕事が終わった人や東京・大阪から車などで駆け付けて到着したばかりの連中など次々と集まって、2時間くらい経った頃には30人近くの人が集まって亡きS氏の昔話と共に、自分達がかつて働いたこの白馬での最盛期の苦労話などで盛り上がり、S氏の存在は今も皆の心の中に刻まれていると確信した。
殆ど人がいない夜の白馬駅(一応拡大します)夜も更けた白馬駅

急な話で30人も集まったのは、それだけS氏の人望があったからに他ならず、この結集力で来年も彼を偲ぶことで皆と合意し、4時間近くの追悼集会は22:00に散会となった。
2次会に流れる者もいたが、大半は翌日の乗務があるので解散する人のほうが多いのは職業柄仕方ない。自分達のホテル組もそのままホテルに戻り、22:30~23:00でもう一度温泉入浴して23:30には就寝した。


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